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2013.07.16 (Tue)

誰のために生きる

○○のためとか、誰かを助けたいとか、人の役に立ちたいとか、そういう気持ちって本当の善意なのかな。
昔、学生時代にボランティア論っていう授業をとっていたんだけど、講師の牟田さんが言ってた。超簡単に言っちゃうと最後は自分のためだって。

ここ何年か、メディアで、例えば学生さんとかに「なんで医者になりたいと思ったの?」「人を救ってあげたいから」とか、この手のやり取りになんとなく素直になれなくなった。
学校で仕事をしていても思ってたんだけど、「子供たちをいい方向に変えてあげたい」などと言う先生は多くて、「変えてあげる」なんてどんだけ押しつけがましい言葉だと、なんとなく嫌気がさしていた。

と言っても、たぶん私も押しつけがましく生きているんだろうなぁ。
ああしたほうがいいのに、こうしたら良くなるのに、とか、人のことを自分の価値観であれこれ判断したり、その価値観が一般的なものであれば、まぁ一般的な話しになるんだろうけど、なんていうか、人のことをそういうふうに見ることってあると思う。家族とか近い関係になればなおさら。
高校時代にはよくもまぁお節介にもほどがある、携帯電話なんてなかったころ、友達の家にまで電話をして半ば無理やり話しを聞き出して「聞いてあげるから」的なw。
悩みをどうにかしてあげたいとか、解決してあげたいとか、そういう思いでやってたのは事実。でも、その気持ちのもっともっと先のほうには、無意識の中で「自分が何かの役に立ってる実感がほしい」みたいなものが誰にでもあるんじゃないかと思う。本当のいい人はそんなこと思わないのかな。

相手は本当に変わりたいのだろうか。
良い方向ってどっち向き?
変えてあげることって本当にいいことなの?
とか考えると、人に関わるのって、関わっていても関わっている部分って、実はちょっとなのかもしれないと思ったり。

で、結局は、自分のためだってこと。
人のためにできることなんて、そんなにたくさん無いような気がする。
本当に誰かのためになれるとしたら、役に立てるとしたら、それは自分自身を大事に自分らしく自分を生きることなんじゃないかと、最近はそう思うのです。なぜなら、私は、自分を生きている人に影響を受けたりするから。その人はきっと、誰かに影響を与えようとか考えてない。誰かのためにとか、誰かの役に立つことを目標に生きてはいない。自分を生きた結果、どこかで、自覚や期待や見返りのないどこかで、誰かがかってに影響されていたり何かが生まれていたり、笑顔になったり救ったりしてるかもしれないけど、それはあくまでも、その結果を期待してのことではないんだということ。

日常生活で、ついつい、ああしろこうしろ思うことがある。些細なことはなおさら。
それで期待通りにならなくて勝手にイライラしてw。

自分のためにっていうと、それはとても自分勝手な感じに聞こえるけど、例えば誰もが自分のためにせっせと生きていたら、期待と見返りの無い世界で生きられたとしたら、結構平和でいい感じになると思うのでした。
って、知能指数の低い発言かしらねw。
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